大徳寺の
歴史

大徳寺の歴史

1450年(宝徳2年)京都建仁寺の衆徒「通庵玄達和尚」により 浜津山 善昌寺(臨済宗)として開創される。玄達遷化(他界)後、寺はすたれ廃寺にならんとしたが 1561年(永禄4年)甲斐の国、武田勢力の春日(高坂)弾正の与力であったとされる 春日豊後守(かすがぶんごのかみ)を再喚し松代町 明徳寺3世 溈岸慶祐大和尚を招し以て再興され明徳寺様の末寺となり、現在慶祐師を当山の開山としている。1622年曹洞宗に改め、その3年後4世祐学和尚の代で”延命山 大徳寺”と改称される。その後4世・6世が末寺を開創していくが、8世円了和尚の代 松代は遠隔地である理由から同じく慶祐大和尚がご開山である小布施町の玄照寺様を本寺とかえて以後今日に至っている。

大徳寺 代24世住職 畔上泰仁